授業で意識すること。
授業で教師がしていることってなんだろう。
考え付く教師の行動をずらっと挙げてみる。
・指示する
・説明する
・発問する
・見る
・待つ
・聴く
・板書する
・机の間を回る
・価値づける など
そこでこの本と出会った。
授業に対する考えの浅さを思い知らされたと同時に、授業に対する向き合い方が変わった。
以下、授業という営みにおいてこれから自分が意識していきたいことを書く。
【授業を構想する段階】
□目の前の子供たちが学びに没頭(エンゲージメント)している場を想像する。
没頭は「させる」ものではなく、「する」もの。
没頭状態を生む確率を高くするための場を創る。
これをすれば絶対没頭する!なんてパーフェクトな実践はないし、あったとしてもなんか嫌だ。
目の前の子供と教材の特性の両面を丁寧に見て、泥臭く実践を創り上げる。
ここでいかに泥臭く想像できるかが、次の【授業を展開する段階】と【授業を省察する段階】に生きてくるかどうかが変わってくるのではないかと思う。
□教材に魂を宿す!!
いきなりスピリチュアルな感じになったが、要するに、教材を「他人事」ではなく「自分事」にすることが大切である。
本書でも述べられていたが、例えば「匿名の指導案」のように指導案を書いた主体に意思がまったく感じ取れない指導案を書かない。
それは指導案作成に関わらず、日々の授業においてもそう。
巷に溢れるパッケージ化された実践の裏には、目の前の子供をなんとかしたいという「ねがい」がある。
泥臭く考えてきた「主体」が存在するのである。
他人の実践を参考にするときには、しっかりと「自分事」にもっていくことを意識する。
でも基本は、目の前の子供たちの姿から泥臭く教材研究をしていきたい。
そうすれば自ずと「自分事」になるし、本書でも繰り返し主張されている「ねがいのある授業」になると思う。
【授業を展開する段階】
□成果よりもプロセスを一緒に面白がる!!
(気付きの質に気付く。子供の内面に対するアンテナを敏感に。)
この問題できてすごいね!ではなく、そこに至るまでのストーリーを知りたい!という態度。
プロセスを一緒に面白がることで、授業がだんだん柔らかくなってくる。
「子供と一緒に創り出す経験」をたくさん味わうためには、このような教師の「居方」も大切であることを学んだ。
子供を見るというと「現在の行動を見る」ということに意識が向きがちであるが、この「居方」を意識するだけで、「現在進行形の行動」や「その時の思考や感情」「関わり方」というところまで見れるのではないか。
□プロセスをシェアする!!
没頭は伝染するらしい。確かに。
プロフェッショナルに出演した井本陽久先生の講座に行った時にも同じようなことを感じた。井本先生はシェアしているだけなのに、我々は没頭してしまった。
ただし、前述した教師の「居方」が前提。
本書はシェアする具体的な方法として、「可視化」「共有化」「焦点化」の3つを挙げていた。
【授業を省察する段階】
□学びのプロセスを「具体的に」「アツく」語る。
書くという形でも話すという形でも良い。
大切なのは借り物の言葉で語らない。
泥臭く自分なりに言語化していく。
そのためには、やはり教材に魂を宿す。
じゃないとアツくなんて語れない。
教師一人で自己省察して、全員の学びを見とることは現実的には不可能。
その限界性を見極めた上で、教師仲間や子供たちに語る。
授業をよりよくするのに必要なのは見えない暗がりにスポットライトを当ててくれるような仲間や子供の存在だ。